第3講 金融の自由化と不安定性を見る 講師:平井俊顕

 

3

 

金融の自由化と不安定性を見る

 

 

                  

 

 

 

 

 

1. はじめに

 

この30年間の世界経済の動向に最も大きな影響と方向性を与えてきたのは「市場にすべてを任せる」という「ネオ・リベラリズム」(サッチャリズムやレーガノミクス)であった。政府による経済介入は効率性を阻害し発展を妨げる、規制は可能なかぎり撤廃し構造を改革すべし、という思想である。ネオ・リベラリズムの信条に基づいて、金融、資本、労働の分野での自由化が、文字通りグローバルなスケールで進行してきた。

  そのなかでも最も重要なのが金融の自由化である。本講では、金融の自由化がどのように進められ、それがどのように世界経済を不安定なものにしてきたのかをアメリカを主たる対象に検討する。

最初に、この30年間にアメリカで金融自由化がいかにして実現していったのかをフォローし (2)、続いて世界金融システムが金融の自由化によっていかに不安定なものになっていったのかを見ることにする (3)。さらに、金融自由化が世界全体にどのような影響を及ぼすことになったのかを3つの側面からとらえる (4)

 

 

2. アメリカの金融自由化

 

        ― 「グラス=スティーガル法」の換骨奪胎化と

「グラム=リーチ=ブライリー法」

 

概要 ― 1933年に施行された「グラス=スティーガル法」 (以下、GS法と略記) は、長きにわたりアメリカの金融システムの根底を規定する法であった。1920年代のアメリカは金融的不正・投機の横行した時代であり、そのことが世界の金融不安、そして大不況の到来に大きな責を有することがルーズヴェルト政権によって認識され1、金融機関の行動に強力な規制をかけるべく施行されたものである。同法は、(i) 金利の統制 (「レギュレーションQ)(ⅱ) 銀行業と証券業 (投資銀行)の分離、(ⅲ) 州際間業務の規制、の3本柱で構成されていた。

GS法の適用緩和を求める動きは、1960年代に銀行が市債市場への参入を求め行ったロビー活動を嚆矢とする。1970年代になると、逆に、証券会社が利子を支払う貨幣勘定、小切手の利用、信用の供与を始めるかたちで銀行の領域に参入していくことになった。そのさい、「証券保管振替機関」 (DTCC) の果たした役割は大きい。1970-80年代、電子化は大手の証券会社のみが可能であり、個人投資家はいわゆる「ストリート・ネーム」によって取引を行なったため、それは銀行の部分準備率のような機能を有することになった。証券会社はこれを利用して新たな資金を獲得していくようになり、このことが翻って銀行を焦燥感に駆り立てることになった。

 議会でも、1980年代からGS法を緩和しようとする法案はいくどか出されていた。金利統制の撤廃が一番早く、それは1986年のことであった。続いて1995年、州際間業務の規制が「リーグル=ニール法」によって撤廃された。銀行業と証券業の分離が解除されたのは一番遅く、1999年の「グラム=リーチ=ブライリー法」(以下、GLB法と略記) によってである。

 

銀行業と証券業の分離規定の緩和化 以下、GS法がどのように緩和され、ついには廃止されるに至ったのかを、銀行業と証券業の分離規定に焦点を合わせてみていくことにしよう。

規定緩和に向けての動きは、FRBによってGS法第20節の拡大解釈 (すなわち分離規定を緩和する方向での解釈) によって火が付けられたといってよい。198612月、同節にある、銀行が証券業に「原則的に携わる」のを禁止するという条項を、総収入の5%までは除外にしたのがそれである。さらに1987年春、FRBは、銀行がいくつかの「証券引き受け」業務を扱える旨の決定を下している。

 1987年にグリーンスパン (J.P.モルガンの役員) FRB議長に就任して以降、GS法の規定緩和に向けての動きは加速していった。1989年には、上記の証券引き受け業務への参入は、総収入の10%にまで拡張された (最初に認可されたのはJ.P.モルガン)FRBはさらに199612月、 銀行持ち株会社が証券会社を子会社として保有することを、25%までという条件で認可した。19982月になると、トラベラーズ保険会社 (S.ワイル社長) とシティ・コープ (ジョン・リード頭取) の合併話がもち上がったのであるが、当時の法律下ではこれは不可能であった。だがグリーンスパン、ルービン、クリントンといった政府首脳に猛烈なロビー活動が展開され、同年9月、FRBはついに両社の合併に同意を与えるに至ったのである。

 以上がアメリカで展開された「金融の自由化」運動である。FRBはさらにGS法第20節の「原則的に携わる」の「原則的に」を拡大解釈していき、GS法をますます形骸化していった。その最後の鉄槌がGS法自体の廃止を求める猛烈な運動であり、その結果199911月、GLB法の成立を見るに至ったのである。

 

GLB法の推進者たち GLB法を成立させるのに積極的な役割を演じたのは、ワイルやリードといった金融家の他、ルービン、サマーズ (庇護者はルービン)、グリーンスパン、グラム上院議員 (共和党)2といったネオ・リベラリストたちである。同法の策定者はサマーズとグリーンスパンであったが、これは「シティ・グループ認定法」の別名で知られる。

20007月に財務長官を辞任したルービンは、シティの経営執行委員会委員長に就任した。在任中、彼は「債務担保証券」(CDO. Collateralized Debt Obligation) をはじめとするリスキーな投資ビジネスにシティ・グループを導いていった3 (因みに先の財務長官ガイトナーは、当時サマーズの庇護下にあり、ニューヨーク連銀の総裁であった。20089月、彼はリーマン・ブラザーズを倒産に追いやったが、巨額の公的資金を投入することでシティ・グループを救済することになる)

グラムであるが、彼は200012月の「商品先物現代化法」(以下、CFM法と略記) の成立にも深く関与している。同法は、エネルギーの先物取引および「クレジット・デフォルト・スワップ」(以下、CDSと略記) の合法化をもたらす契機になったものである。

グラムはその後、大手投資銀行UBSの幹部として迎え入れられた。彼は、同社のCDSの拡大を推進するうえで中心的な役割を演じたとされる4

CFM法が制定されるまえ、商品先物取引委員会 (CFTC)にあって、委員長B.ボーンは、OTC (Over-the-Counter. 相対取引) デリヴァティブ (とりわけCDS) がどこからの規制を受けることもなく販売されていることに警戒感を抱き、その規制の必要性を訴えていた。だが、この動きはグリーンスパン、ルービン財務長官、サマーズの猛反対のまえに挫折し、その後、逆に規制緩和への動きが加速化することになった。その成果がCFM法なのである。レーガン、G.H.ブッシュ政権時のCFTC委員長であったウェンディ(グラムの妻) は、CFM法を成立させるため強力な運動を展開した。彼女はその功績でエンロンに迎え入れられることになる。

エネルギー取引が監視対象からはずされたこと (いわゆる「エンロンの抜け穴」) で知られるCFM法の最大の特徴は、「シングル・ストック先物」が許容された点である。このことで、より巨額のレヴァリッジが可能となり、投機行為のさらなる拡大につながったのである (同法は2000-01年のカリフォルニア州の電力危機に大いなる責があるとされている)

エンロンだが、同社は1990年代からデリヴァティブ取引に積極的であった。1999年には「エンロン・オンライン」を設置し、デリヴァティブ取引を急激に拡大させたのであるが、その後大規模な会計不正が発覚し、ついには倒産に追い込まれ、いわゆる「ドットコム・バブル」の崩壊をもたらした。

 

3. 世界金融システムの不安定性

                                                               

金融の自由化がもたらした世界経済への影響を、どのように評価すべきなのであろうか。確かに資本を、高い利潤率を獲得できる地域に動かせる可能性を開いたことで、そうでなければ機会のなかった地域の経済を活性化させ、経済発展をもたらすことになったという点は、金融の自由化の演じたポジティブな側面である。金融資本は利潤を求めてそれまでなら考えられなかったような地域にまで進出し、そのことでBRICsを代表とする多くの地域での経済発展を引き起こすことになった。
 この点は第2講で言及したので、ここでは金融資本による「濡れ手に泡」的なもうけを狙う過度の投機的行為が世界経済を非常に不安定なものにしてきたという点、そしてその程度が時を追うにつれて激しくなっていったという点に焦点を合わせる。とりわけ、世界経済を不安定にするうえで最大の要因となった「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化を取り上げ、そのうえで実際に生じた2つの事例を見ることにする。

 

「シャドウ・バンキング・システム」の肥大化 1980年代に本格的な展開を見せ始めた金融の自由化は、「シャドウ・バンキング・システム」(以下、SBSと略記) を生み出していくことになった。それまでアメリカの金融システムは、銀行業の投機的活動を抑制すべく1933年に制定されたGS法のもと、FRBの監督下におかれていたのであるが、既述の規制緩和運動の結果、どの機関の監視からも逃れ、自由に (= 好き勝手に) 活動できる「ヘッジ・ファンド」、「投資ヴィークル」 (SIV. Structured Investment Vehicle)、「プライベート・エクィティ」などの金融機関が輩出することになった。これらの組織が資金調達法として編み出したのが「証券化商品」(securitized products. MBS [住宅ローン担保証券]CDOCDSなどが代表格) であり、レヴァリッジであった。

  監視を逃れたこれらの金融機関は巨額の資金をもとに (それに、クォンツ [金融アナリスト] による金融工学の手法を利用しつつ)、投機活動に邁進していくことになった。彼らが巨額の利得を獲得し続けたため、FRBの監督下にあった銀行も、「投資ヴィークル」に象徴されるオフ・バランス手法などにより、SBSに参入していくことになった。こうして金融の自由化は、グローバル・レベルで、巨額の資金を用いて短期的投機行動を展開させることになり、その結果としてこれらの活動を規制する機構が欠落した金融システムであるSBS ― それはグローバリゼーションの申し子であり、かつ鬼子である を誕生させることになった。こうしたSBSの肥大化は、世界の金融システムを非常に不安定なものにしていく大きな要因であった。

金融自由化の行き過ぎは、これまでも世界経済を危機的状況に陥れることがあったが、20089月、ついに世界の金融システムは破裂し、今回の世界経済危機をもたらすに至ったのである。

はたして、このようなSBSは資本主義システムの発展にとり望ましいものなのであろうか。これらの金融機関が、科学的・客観的技術としての評価を受けてきた金融工学的手法を武器に展開する投機的活動は、いかなる意味で正当化されるのであろうか。

以下、金融自由化の行き過ぎが引き起こしたグローバルなレベルでの経済的不安定化について、2つの事例で見ることにする。1つは 1997-98年の「アジア金融危機」、もう1つは2007年から始まってリーマン・ショックに至った「サブプライム・ローン危機」である5

 

アジア金融危機 ― 1997年、マクロ・ファンドにより引き起こされたアジア金融危機は世界的な広がりをみせた。ドル・ペッグ制を採用していたタイは、世界的にドル高 (円安) が生じてきたためバーツ高になり、輸出が不振に陥り始めていた。そこに目をつけたヘッジ・ファンドがバーツを売り浴びせたため、ついにバーツは切り下げられることになった。それまで短期で借り入れたドル資金に依存して経済成長を続けていたタイ経済は、返済負担の急増により深刻な不況に陥った (他方、ヘッジ・ファンドは膨大な投機益を手にした)。この不況の波は、マレーシアやインドネシアへと伝播していった。

それに連鎖して生じたのが、(1998年の) ロシア金融危機である。ロシアは、ソビエト連邦の崩壊後、「ビッグバン」型の資本主義化 (ショック・セラピーとも称される) を強行したものの、その成果は無残なものであり、1997年当時、激しいインフレと財政危機に襲われ、最悪の経済状況にあった。ロシアは必要な資金を国債の発行で調達していたが、これに目をつけたのが、かの有名なヘッジ・ファンド「ロング・ターム・キャピタル・マネジメント」(LTCM. 1994年設立)である。

LTCMは創設者に、オプション価格を決定する「ブラック=ショールズ式」でノーベル経済学を受賞した2名が含まれていることで有名であった。企業規模は高々150名ほどであったが、初期の成功ぶりに世界中の銀行が「白紙小切手」を切るばかりの勢いであった。LTCMは、当初資産50億ドルの「中立型ヘッジ・ファンド」であったが、1998年には1千億ドルの資金を扱い、1兆ドル のポジションをとるまでになっていた。

だがLTCMの投機行動はロシア政府の国債デフォルト宣言で頓挫し、このまま放置すれば世界的な金融危機が到来する危険性が、一挙に生じた。そこでFRBはニューヨーク連銀の指導のもと、19989月、ウォール街のメガバンクにLTCMへの緊急融資をさせることで、この危機を切り抜けたのである。

 

サブプライム・ローン危機 2007年頃から深刻な経済危機を引き起こす気配をみせて現出したのがサブプライム・ローン危機であった。 2005年以降、高金利のサブプライム住宅ローンが信用力の低い低所得者層を対象に貸し付けられるようになった。大手金融機関はこの住宅ローンを買い上げ、これを担保に数多くの「証券化商品」を生み出し、そしてそれらを「パッケージ」として組成していった6。ムーディーズをはじめとする最高の権威を有する格付け機関は、これらに対しきわめて安全な証券との認定を与えたため (サブプライム住宅ローンからの証券化商品の80%にトリプルAが付与された)、これらの証券化商品は世界中に販売されていった。金融機関はといえば、審査らしい審査をすることもなくサブプライム住宅ローンを貸し出し、それをもとに階層化された証券化商品を組成する、さらにそれに格付け機関が最高の格付けを与える、その結果として証券化商品は高利回りの商品として人気を集める。こうした負の連鎖が続いたのである。

 

 

4. 「金融自由化」考

 

2節でみたように、「金融の自由化」は「金融資本の自由化衝動」を起爆剤とするものであった。それは、アメリカの銀行界がGS法の規制下におかれている状況を打破し、その規制を受けずに発展していく証券業界との競争に対抗するための、さらには世界の金融市場を自己の支配下に置くための、活動であった。このような衝動に政府の有力者 (ルービン、グリーンスパン、サマーズ等) は同調し、FRBや財務省は、GS法第20節の拡大解釈を通じ、その骨抜きを促進させていき、ついにはGLB法とCFM法を成立させるに至ったのである。

以下では、この「金融の自由化」にどのような意義 (もしくは意味) があったのかについて、3点を取り上げることにする。覇権国家的意義、経済的意義、日本およびBRICsにとっての意義、がそれらである。

 

覇権国家的意義金融の自由化は、超大国アメリカが世界支配を維持・継続していくうえで、彼らに残されている数少ない方法であると考える政府当局者の認識とも符号するものであった。1980年代の惨めな経済パフォーマンスに苦しんでいたアメリカにあって、金融をテコにした世界への影響力の復権・拡大は、政府当局者 (レーガンをみよ)にとってまたとない方法・機会であると考えられた。IMFや世界銀行を通じた「ワシントン・コンセンサス」(「構造調整プログラム」) の推進や、1991年に生じたソ連邦の瓦解に伴い、同地域の多くの政権がアメリカの経済学者 (最も有名なのはハーヴァード大学教授A. シュライファー [庇護者はL.サマーズ]) を招聘して、資本主義の「ビッグバン」的導入を遂行したこと [この試みは、最悪の経済パフォーマンスをもたらすことになったのだが]も、それと軌を一にする行動であった。
 これらの運動を強烈に後押ししたのが、「ネオ・リベラリズム」、ならびに金融工学や「新しい古典派」の「知的権威」であった。「ネオ・リベラリズム」はその表向きの顔とは裏腹に、非常に権力志向的なイデオロギーを漂わせている。「自由」、「民主主義」の唱道者として、自らが考える「自由」、「民主主義」が実現できていない国に対しては、ときには「構造調整プログラム」により、ときには軍事力により介入するというのが「ネオ・リベラリズム」の特徴である。その意味で、「ネオ・リベラリズム」は「ネオ・リベラリズム+パワーイズム」と言えよう。社会主義圏の崩壊もこの動きを加速化させるうえで与って大きな力となったことも確かである。

さらに政治力学的には、これらの運動は金融資本と金融政策当局との露骨な「ギブ・アンド・テイク」巨額の見返りを前提にする、金融資本と金融政策当局との「超」親密な関係を機軸に展開されてきた「クレプトクラシー」(Kleptocracy) であると言えよう。

 

経済的意義こうした「金融の自由化」は経済的に見ると、どのような意義を有するものなのであろうか。金融の自由化は金融機関が資金の調達手法を自ら創造していくことのできる空間の拡張である。「証券の商品化」が多層化され、レバレッジも拡大していく。こうして獲得された資金をもとに、金融機関が投機的な利潤追求行動をかぎりなく展開していく。しかもそれは経営幹部間での利得の分捕り合戦の様相を呈しており、「企業の社会的責任」(CSR)といった認識を完全に放棄するまでに至っている。ヘッジ・ファンドによる、世界のなかの弱った地域に目をつけ、そこに投機的攻撃を仕掛けることで巨万の利得を得ようとする行為、当該国に多大の損失を与えることを意に介さない行為 (それは当該国の経済管理システムに責任があるとする姿勢) が近年、露骨なまでにみられた。

 こうした「金融のための金融」、実体経済を無視した投機的行為は本来あるべき金融の役割 実体経済を成長させるうえで必要な資金を融通するという受動的役割 からはかけはなれた、金融資本による利殖追究 (GDPの「分捕り行為」といってもよい) の自己目的化であり、市場経済の円滑化とは真逆の行為である7。この結果、ケインズのいう「実体経済が投機的渦に巻き込まれる」事態が生じたのである。

シャドウ・バンキング・システム (SBS) の拡大は、金融の自由化を推進させてきた (アメリカを筆頭とする) 政府当局者による活動の産物でもあった。これは、金融業界と政府当局のあいだで「超」親密な関係が結ばれることにより、政府当局者が本来遂行すべき国民経済の安定的成長の促進というスタンスから逸脱する類の行為である。政府は金融界とは一線を画すべきであり、国民経済全般の福祉を第一義的に考えて政策運営に臨むべきであろう。然るに、「金融の自由化」に邁進する運動過程にあって、アメリカをはじめとする諸政府は金融界と一体化した動きをとってきたのである。その代償が、ヘッジ・ファンドの暴走、「証券の商品化」の多層化であり、今回のメルトダウンであった8

 

日本およびBRICsにとっての意義 ― 90年代の米英を中心に展開した金融グローバリゼーションと金融工学を応用した金融商品開発は、一方で米英金融資本による世界市場の支配を復活させた。しかも同時期、アメリカの若手企業者はIT革命により世界をリードすることになり、それまで日本や西ドイツに押される一方であった実業の世界でも、アメリカがリードすることになった。
 同時期、日本は自国の金融危機 (さらには国際決済銀行 [BIS] の自己資本比率順守要請) により、世界の金融市場から撤退せざるを得ない状況に追い込まれていた。そのうえ、企業者スピリットという点でアメリカの後塵を拝することになった。このことは、80年代に既存の企業がイノヴェーション分野を組織内に取り込むかたちで成功裏に展開できたのとは対照的であった。その結果、日本経済は (実質GDPは下がってはいないが) 名目GDPを上昇させることはできなかったのである。

  他方、金融のグローバリゼーションは結果的に新興国BRICsの高度経済成長にも貢献することになった。BRICsの台頭は、単に開発途上国が成長したということではなく、21世紀の世界における重要な経済的・政治的プレイヤーになったという意味で世界史的意義を有する現象である。

 中国の場合、80年代から海外資本も活用しながら顕著な経済成長を、歴史上どの国も成し得なかったスピードで達成してきた。ロシアの場合は、共産圏の盟主として経済的にも大国であったから事情は異なる。90年代にとられた悲惨な資本主義化であったが、たまたま訪れた資源価格の高騰を契機として奇跡的といってもよい復活を遂げることになった (一次産品自身が 「インデックス投機」 の対象となったことも、また中国の経済発展が一次産品への需要を高めたことも、ロシアにとっては幸運であった)。インドにあっては、アメリカで始まったIT革命が、劣悪なインフラ基盤にもかかわらず、優れた頭脳の経済的活用を可能とし、インドを90年以降、BRICsの一員に押し上げる大きな要因となった。ブラジルの経済発展においては、中国の驚異的な成長があらゆる種類の一次産品需要を誘発したことが少なからず貢献している。
 こうしてこの20年のあいだに、世界における日本経済のプレゼンスはあらゆる指標でみても劇的な下落をみせることになり、他方、BRICsのプレゼンスがいや増しの高まりをみせることになった。しかも中国やロシアはその経済力をも背景にかつての覇権国家への道を意識的に歩もうとしており、アメリカとの覇権争いが激しさを増していく情勢にある。

 

5. むすび

 

以上、この30年間に生じた金融の自由化と、それが資本主義システムにもたらす不安定性の増大という問題を、世界資本主義の中心国たるアメリカを対象にみてきた。私たちは金融を抜きにして資本主義システムを考えることはできない。しかし、だからといって金融を自由放任のままに置くならば、より深刻な経済破綻が今後も生じる恐れがある。この金融システムを適切にコントロールしながら、「正しい資本主義」を維持・発展させていくことができなければ、資本主義の将来はきわめて危ういものとなるであろう。

「リーマン・ショック」により、世界経済は新たな局面を迎えることになった。証券化商品の暴走を止める手段はなく、その結果メルトダウンがもたらされることになった。それに対し、破綻した巨大金融機関を超法規的手段 (ゴールドマン・サックスを商業銀行に改編することで、ベイルアウトを遂行したことなどは最たるもの) により救済したが、これは「ネオ・リベラリズム」の激烈な破綻劇である。

 

()

 

  1) この事実の解明に大きく貢献したのが「ペコラ委員会」(Pecora Commission) である。

2) グラムは1996年には共和党の大統領候補を目指したことがある。今回はマケイン陣営の主要な支援者であり、マケインが大統領に当選した暁には財務長官の椅子が用意されていたとされる。

3) リーマンショックを調査したFCICの報告書は、金融危機において重要な責任のある人物9名をあげているが、そのなかにルービンが入っている。

4) UBS (Union Bank of Switzerland) は今回の金融危機にさいし大きな痛手を受け、200810月、スイス政府から、60億スイスフランの公的資金の注入、ならびに720億スイスフランに及ぶ不良資産の買取を受けた。

5) 世界的な影響を及ぼすことはなかったものの、アメリカ国内において生じた金融不安定性現象として重要なものにS&L [Savings and Loan Association] 危機 (1990年前後)、ドットコムバブル (2001年頃。エンロンに象徴される) がある。

6) アメリカ司法省は、この頃にドイチェバンク、クレディスイスがMBSの不正販売を行った件で提訴していたが、201612月、両行は、おのおの、72億ドル、53億ドルの罰金を支払うことに同意した。

7) アメリカ司法省は、国際的銀行6 (Citicorp, JP Morgan, Barclays, RBS, UBS, Bank of America) を、2008年にLibor (London Interbank Offered Rate) の不正操作行為をしていた件で提訴していたが、20155月、これらの銀行は計58億ドルの罰金を支払うことに同意した。

  8) 本講では、金融機関について述べたが、それ以外のグローバル企業の行動についても留意が必要である。グローバルに活動する企業は、収益を税率の安い国 (例えばアイルランドとかルクセンブルグ。国家間での誘致競争が存在する) で稼いだかたちにし、そしてそこで巨額の給料を経営幹部に支払ったしぼりかすにかけられた低率の税を納める。その結果、ほとんどが脱税状態になっている。さらにイギリス領ヴァージン諸島のようなタックスヘイブンを利用して、納税を逃れる行動がとられている (この実態は「パナマ文書」[Panama Papers.20164月に露呈] によって白日のもとに晒されることになった)
 こうした行動が、かつては新たな産業革命のパイオニアとして評価されてきた企業 (グーグル、マイクロソフト、フェイスブック、アップル、アマゾンなど)が軒並み、この種の行動をとっている。そしてこれらの企業はすでに、クリントン財団に典型的にみられるように、グルになった活動を展開している。もちろん巨額の献金を行うことで権益を守ってもらうという行動である。
 グーグルは、収入の0.21%しかアイルランドで支払っていない。その収入はヨーロッパ、中東、アフリカで稼いだものである。さらに問題なのは、親会社のGoogle Holdings Irelandの実態は公表されずに済んでいる。つまりはSBS的状況である。

  これらの企業モデル、そして企業倫理は、グローバル化した資本主義の あり方に深刻な問題を投げかけている。

 

(参考文献)

 

Calvalho, F. [2013] “Liquidity Preference of Banks and Crises” in Hirai, Marcuzzo and Mehrling eds. Ch.8.

De Cecco [2010] “Keynes and Modern International Theory” in Bateman, Hirai and Marcuzzo eds. Ch.12.

Dodd-Frank [2010], Dodd-Frank Wall Street Reform and Consumer Protection Act, July. Available at http://www.sec.gov/about/laws/wallstreetreform-cpa.pdf.

European Commission [2011], European Union Financial Transaction Tax (EU FTT), Sep. Available at:

http://en.wikipedia.org/wiki/European_Union_financial_transaction_tax.

Hirai, T. [2015] “Financial Globalization and the Instability of the World Economy” in T. Hirai, ed.[2015], Ch.2.

Hirai, T., Marcuzzo, M.C. and Mehrling, P. eds. [2013] Keynesian Reflections: Effective Demand, Money, Finance, and Policies in the Crisis, Oxford University Press.

Hirai, T. ed. [2015] Capitalism and the World Economy: The Light and Shadow of Globalization, Routledge.

Independent Commission on Banking [2011], Final Report Recommendations. available at http://www.ecgi.org/documents/icb_final_report_12sep2011.pdf

(The Vickers Report).

Kregel, J. [2010] “Keynes’s Influence on Modern Economics: Some Overlooked Contributions of Keynes’s Theory of Finance and Economic Policy” in Bateman, Hirai and Marcuzzo eds. Ch.13.

Krugman, P. [2009], “The Market Mystique”, New York Times, April 01.

Liikanen, E. [2012], "Report of the European Commission's High-level Expert Group on Bank Structural Reform", Feb.

Minsky, H. (1992) “The Financial Instability Hypothesis”, Working Paper No.74, Levy Economics Institute of Bard College.

“No More Naked - Germany and France Call for an EU Ban on Financial Speculation”, Spiegel Online, June 9, 2010.

Perrotta, C. and Sunna, C. eds. [2013], Globalization and Economic Crisis, University of Salento, Italy.

Shiller, R.[2008], Subprime Solution, Princeton University Press.

Soros, G.[2008], The New Paradigm for Financial Markets, Public Affairs.

Stiglitz, J. [2009], “Obama's Ersatz Capitalism”, New York Times, April 01.

Talbott, J.R. [2008], Obamanomics, Seven Stories Press.

Tarullo, D. K. [2013; 2014], Dodd-Frank Implementation, Before the Committee on Banking, Housing, and Urban Affairs, U.S. Senate, Washington, D.C., July 11, 2013 and February 6, 2014.  

Wray, L.R. [2013] “Financial Keynesianism and Market Instability” in Hirai, Marcuzzo and Mehrling eds. Ch.12.

Wray, R. [2015] “The Crisis, the Bailout and Financial Reform: a Minskian Approach to Improving Crisis Response” in T. Hirai, ed.[2015], Ch.5.

 

江川由紀雄 [2007]『サブプライム問題の教訓』商事法務.

倉橋透小林正宏[2008] 『サブプライム問題の正しい考え方』中公新書.

滝田洋一[2008]『世界金融危機』日本経済新聞出版社。

平井俊顕 [2012]『ケインズは資本主義を救えるか』昭和堂


 

コメント

このブログの人気の投稿

[SUP 上智大学出版 春先に刊行予定で進行中]  ヴェルサイユ体制 対 ケインズ (目次の紹介)